マイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソンの名曲ランキング

マイケル・ジャクソンの名曲ランキングです。 米ビルボード誌、米ローリングストーン誌、英ラジオ局、日本のファン投票の4つのランキングを集計し、 順位を付けました。 1位は「ビリー・ジーン」、 2位は「ビート・イット」、 3位は「今夜はドント・ストップ」です。 マイケルの歴代の大ヒット曲、有名な曲、ノリのいい曲、静かな曲、泣けるバラードが勢ぞろい。 ジャクソン5の曲も入っています。 ユーチューブ(Youtube)の動画(MV、ダンス映像、ライブなど)付きで紹介します。
Michael Jackson(1958年~2009年)は、ポピュラー音楽の歴史の頂点に立ったアメリカの黒人歌手。 ソウルやロック、ダンス・ミュージックといったジャンルを越え、世界を熱狂させました。50歳の若さで薬物の過剰摂取により死去。 代表作「スリラー」は、歴史上最も売れたアルバムになっています。(MOVE編集部)

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1位~10位

順位 曲名、発売年、動画 解説
ビリー・ジーン
(Billie Jean)

1983年1月

公式ビデオ→

ムーンウォークが初披露された伝説のショー→

来日公演(1987年)→

映画「This is it」のシーン→

歌詞付き→

和訳(ブログ)→
マイケルの代表曲。多くのファンや評論家が「マイケルの最高傑作」と位置付けている。 マイケルが亡くなる前年(2008年)に日本など各国で行われたファン投票でも1位に選ばれた。 アルバム『スリラー』から、「ガール・イズ・マイン」に次ぐ2枚目のシングルとして発売。 売上枚数もマイケルにとって最多となっている。

作曲・作詞はマイケル。 最初から最後まで一定の音とリズムを保ちながら進行するのが特徴。 楽器の音が最小限に抑えられ、ベースラインとシンプルなドラムビートで構成される基本サウンドが、スリリングな印象を与える。 マイケルは車の運転中にこの曲を思いつき、 夢中になるあまり、 自分が車が故障で炎上し始めているのに気づかなかったという。

曲の題材は、ストーカー体験。 曲名「ビリー・ジーン」はあるストーカー女性の仮名だという。 ランディ・タラボレッリによる非公式の伝記「マイケル・ジャクソンの真実」によれば、 この女性はマイケルに何度も手紙を送り、 自分の子供の父親はマイケルだと主張したという。 やがてエスカレートし、銃を送り付けてきたときもあったとか。 後日、精神病院に入ったとされる。 サビの歌詞では「ビリー・ジーンは僕の恋人じゃない。彼女の子供も、僕の子ではない」と繰り返している。

クインシー・ジョーンズは当初、 この曲をあまり気に入っておらず、 アルバムからカットするよう主張したという。 しかし、マイケルは頑として聞き入れなかった。

マイケルの代名詞となる「ムーン・ウォーク」を初めて使った曲としても有名。 全米でテレビ中継された音楽ライブ(モータウン25周年イベント)でこの曲を歌いながら、 突如、ムーン・ウォークを披露。 視聴者を熱狂させた。また、1980年代前半に登場した米音楽専門番組「MTV」が、初めて繰り返し放映した黒人アーティストの曲としても知られる。

米ビルボードで7週連続で1位を獲得。 年間チャートではポリスの「見つめていたい」に次いで2位となった。

その後も歴史的な評価を獲得。 イギリスのテレビ局「ITV」が2012年、歴代の英国1位の曲の中ら「最高の曲」を選ぶ投票を実施したところ、 堂々の2位に輝いた。(1位はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」)。 ダンス曲としても史上最高の傑作と言われる。

収録アルバム「スリラー」試聴(Amazon)→
「今夜はビート・イット」
(Beat It)

1983年2月

公式ビデオ→

歌詞付き(2001年のデビュー30周年ライブ。スラッシュとの共演)→

来日公演(1987年)→
マイケルが生んだ最高のロック。 ソウルやファンクの色合いが濃かったマイケルが、音楽の幅を広げる突破口となった。

「スリラー」から3枚目のシングルとしてリリースされた。 マイケルはとにかく暴力が嫌いなことで知られる。 その姿勢は、幼少のころから父親ジョセフの体罰に苦しめられてきたからだと、 多くのジャーナリストが指摘している。 「don't be a macho man(マッチョな男にはなりたくない)」という言葉は、 暴力的な男への嫌悪感を示したと解釈されている。

エディ・ヴァン・ヘイレンが電撃的なギターソロを披露。 ギターという楽器の魅力を最大限に引き出している。 エディ・ヴァン・ヘイレンは無料で引き受けた。 マイケルのそれまでとは違うエッジが効いた声が披露される。

作詞・作曲はマイケルが手掛けた。 曲作りにあたっては「子供たちが楽しめる曲」を目指したという。 従来、マイケルのファンは黒人が多かったが、 プロデューサーのクインシー・ジョーンズは、白人層のファンを増やすためにも、アルバム『スリラー』にはロックが必要だと考えた。

グラミー賞で最優秀レコード賞を受賞した。 さらに、ロック部門でも最優秀歌唱賞を受賞した。

ミュージック・ビデオ(MV)では、対立する2つのチンピラ・グループを、 マイケルが音楽とダンスの力で一つに融合させるという内容。 ダンスの振り付けが人気を集め、 真似て踊る人が続出した。

収録アルバム「スリラー」試聴(Amazon)→
「マン・イン・ザ・ミラー」
(Man In The Mirror)

1988年1月

公式ビデオ→
マイケルの作品の中で最もゴスペル色が強い曲。 社会を変革しなければならないが、その第一歩として、 鏡に写っている自分(Man In The Mirror)から変えていく、 というメッセージソング。 「人道主義者(ヒューマニスト)」としてのマイケルの顔が強く出ている。

マイケルの神がかった歌いっぷりと、 ゴスペル・コーラスが魂を揺さぶる。 マイケル自身が最も気に入っていた曲の一つだとされる。

作曲は超売れっ子の作曲家グレン・バラードによる。 作詞は「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」でマイケルとデュエットしている女性歌手サイーダ・ギャレットが手掛けた。 アルバム『Bad』の中でマイケルが作曲・作詞をしなかった2曲のうちの1曲。

アルバム『Bad』から4枚目のシングルとして発売された。 全米1位。 1989年のグラミー賞の最優秀レコード賞にノミネートされた。

収録アルバム「Bad」試聴(Amazon)→
「ブラック・オア・ホワイト」
(Black or White)

1991年11月

公式ビデオ→

ライブ(2001年、スラッシュとの共演)→
とびきりキャッチ―な曲。 アルバム「デンジャラス」からの最初のシングル。 全米ビルボードにおいて7週連続で1位に君臨し、 マイケル人気の健在ぶりを示した。

黒人とか白人とかどうでもいい、という歌詞。 人種間の融和を明るく訴えている。

軽快で弾けるようなサウンド。 ギター・リフが印象的。 リズム&ブルース(R&B)やロックに、 当時流行していた「ニュー・ジャックス・ウィング」という音楽要素を取り入れ、 新しいマイケルを印象づけた。

収録アルバム「デンジャラス」試聴(Amazon)→
「今夜はドント・ストップ」
(Don't Stop 'Til You Get Enough)

1979年7月

公式ビデオ→

ライブ→
マイケルが生んだ最強のディスコソング。 思いっきりファンキーでグルーヴたっぷりの名曲。 ソロ歌手として初めて全米1位に輝いた。黄金期の幕開けを飾る一曲である。すべて裏声(ファルセット)で歌っている。

作曲・作詞もマイケルが手掛けており、 ソングライターとしても卓越した能力を備えていることを、 世界中に知らしめる契機となった。

1978年に晴れて成人となったマイケルは、 幼少期から自分を厳しくコントロールしていた父親ジョセフと袂を分かつことを決意する。 一緒にグループとして活動してきた兄弟とも距離を置き、 レコード会社からの干渉も減らすとともに、 自らの意志でクインシー・ジョーンズをプロデューサーに起用。 アルバム『オフ・ザ・ウォール』の制作に取り掛かった。

マイケルがつくっていたこの曲のデモを聞いたクインシーは、アルバムに採用することに合意。 アルバムの冒頭を飾るとともに、1枚目のシングルに選ばれた。

厳格な父親をはじめとする大人たちから解放され、創作面(クリエイティビティ)での潜在力を爆発させたマイケル。 評論家の高橋道彦氏は「マイケル・ジャクソン 1958-2009」の中で、「歌う喜びに満ち溢れたマイケルの声が最高」と評している。

ホーン・セクションや管弦楽も組み入れ、 演奏面でも名曲の名にふさわしい完成度になっている。

収録アルバム「オフ・ザ・ウォール」試聴(Amazon)→
「スムーズ・クリミナル(スムース・クリミナル)」
(Smooth Criminal)

1988年10月

公式ビデオ→

ライブ(来日公演、1988年)→

ライブ(1997年)→

映画「This is it」より→

ドラム演奏→
「バッド」から7枚目のシングル。 作詞・作曲はマイケル。 曲名のSmooth Criminalとは「手際のよい犯罪者」という意味。 アパートで何者かに襲われた女性アニーに、 「大丈夫か?」と問いかけている。

メインのベースラインが強烈な印象を与える。 「スリラー」のようなホラー的な恐怖感も伝わる。

斜め45度の前かがみ(前傾)になるダンスの振り付けでも有名。

収録アルバム「Bad」試聴(Amazon)→
「バッド」
(Bad)

1987年9月

公式ビデオ→

ライブ(来日公演、1987年)→
従来のマイケルよりも「とがった」感じがあふれる曲。 チェーン付きの革ジャンで登場した公式ビデオとともに、アウトロー的な新しいイメージを与えた。 最先端の電子音を上手に取り込んだサウンドやマイケルの歌唱力が称賛された。

同名のアルバムからの第二弾シングルとして発売。世界9か国で1位になった。 この曲を含めてアルバム『BAD』からはシングル5曲が連続で全米トップという快挙を遂げている。

作曲・作詞はマイケル。 荒廃した貧困街で育ちながら、優等生が通うような私立学校への入学を果たした少年が曲の主人公になっている。 少年が休みの日に故郷に戻ったところ、旧友たちから妬まれ、からかわれる。 そんな彼らに対して少年は「本当のワルはオレだ!」と言い放つ。 実在の人物から着想を得たという。

当時絶大な人気を誇り、 マイケルのライバルとも目されていたプリンスとのデュエットが計画された。 プロデューサーのクインシー・ジョーンズ主導で話が進められたが、実現せず幻に終わった。

公式ビデオは、名匠マーティン・スコセッシ監督が製作。 マイケルとチンピラ風の仲間たちが地下鉄の駅で踊る。 ミュージカル感がたっぷり。

収録アルバム「Bad」試聴(Amazon)→
「スリラー」
(Thriller)

1984年1月

公式ビデオ→

映画「This is it」より→

ライブ(1988年)→
マイケルの代名詞ともいえる曲。 ホーラー映画仕立ての公式ビデオが超名作。 音楽史上最も優れた映像作品と評価する声が多い。 また、マイケルがゾンビたちと踊る振り付けも、ダンスの歴史に残る傑作とされる。

冒頭にドアを開く音や狼の遠吠えなどの効果音が登場。 サビの部分でのマイケルの伸びやかなボーカルから、 曲の最後の怖いナレーションと高笑いに至るまで、 究極の完成度の高さ。 クインシー・ジョーンズのプルデューサーとしての手腕が冴えわたる。 作曲・作詞は、クインシーの秘蔵っ子の一人であるロッド・テンパートンが手掛けた。

アルバム『スリラー』から最後となる7枚目のシングルとして発売された。 世界中でハロウィン・イベントの定番として根付いている。

収録アルバム「スリラー」試聴(Amazon)→
「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」
(The Way You Make Me Feel)

1987年11月

公式ビデオ→

ライブ(1988年、グラミー賞)→

ライブ(2001年、ブリトニー・スピアーズとの共演)→

映画「This is it」より→
アルバム『Bad』からの3枚目のシングル。 全米1位。 Badの中で一番陽気な曲。 ジャンルはポップ及びリズム&ブルースとして位置づけられている。 マイケルが母親のキャサリンから「シャッフルのようなリズムの曲を」とリクエストされ、 書き上げた。

Badのためにマイケルは60以上の曲をつくったが、 厳選して選ばれた11曲の一つの中に入った。

公式ビデオでは、マイケルが女性を一生懸命に口説いている。 マイケルがナンパする男に扮したのはこれが初めて。 ダンスと歌で懸命に誘惑している。 女性役のタチアナはこのビデオですっかり有名人になった。

ライブでは、女性歌手とデュエットすることが多かった。 売れる前のシェリル・クロウがデュエットしたこともある。

収録アルバム「Bad」試聴(Amazon)→
10 「スタート・サムシング」
(Wanna Be Startin' Somethin)

1983年5月

ライブ(1988年)→

音のみ→

映画「This is it」より→
アルバム「スリラー」の冒頭を飾る。アルバムから4枚目のシングルに選ばれた。 陽気な歌。 アフリカのリズムに乗って「ママセ ママサ ママクーサ」というカメルーン語が飛び交うのが印象的。 ハツラツとしたマイケルの世界が堪能できる。 まさにアルバムのオープニングにうってつけ。

「スリラー」の中の4つの自作曲の一つ。 歌詞では、過度なゴシップや中傷に走るマスコミを批判している。 もともとは姉のラトーヤ・ジャクソンのために書いた曲だという。

収録アルバム「スリラー」試聴(Amazon)→

トップ1011~20位21~30位ページの先頭↑

11位~20位

順位 曲名、発売年、動画 解説
11 「ヒューマン・ネイチャー」
(Human Nature)

1983年7月

歌詞付き動画→

ライブ(1988年)→

映画「This is it」より→
アルバム『スリラー』から5枚目のシングル。 透き通っていて、とろけるようなマイケルの歌声が輝く。 とくに「Why, why」というサビの部分が印象的。 当時のロック界をリードしていたTOTOのキーボード奏者、スティーヴ・ポーカロが作曲した。

音楽ライターの川口真紀はマイケルの作品ガイド「マイケル・ジャクソン・ワークス」の中で、「ある意味、この曲が『スリラー』収録曲の中で最もヒップホップ世代に影響を与えたといっても過言ではないだろう」と指摘している。

収録アルバム「スリラー」試聴(Amazon)→
12 「リメンバー・ザ・タイム」
(Remember the Time)

1992年2月

公式ビデオ→
メロディが美しい名曲。 1991年のアルバム『デンジャラス』から、 「ブラック・オア・ホワイト」に次ぐ2枚目のシングルとして発売された。 米国でチャート3位。

当時流行していた「ニュー・ジャック・スウィング」というジャンルの曲として位置づけられている。 若かったころの恋愛について、当時の彼女に「ねえ覚えている?」と語りかける内容。

作曲・作詞は、マイケルのほか、『デンジャラス』のプロデューサーを務めたテディー・ライリーら。 ライリーは、マイケルが後に妻となるデビー・ロウとの出会いについて語ったことにインスピレーションを得たという。 一方で、マイケルが幼いころから友人だった歌手ダイアナ・ロスに捧げた歌だという説もある。

収録アルバム「デンジャラス」試聴(Amazon)→
13 「ロック・ウィズ・ユー」
(Rock With You)

1979年11月

公式ビデオ→
1970年代のディスコ全盛時代が終焉に向かうなかで、 最後に大ヒットしたディスコ・ソングと言われている。 公式ビデオも衣装やダンス、セット、ご機嫌なムードなどの点でディスコらしさが満載になっている。

アルバム『オフ・ザ・ウォール』から、 「今夜はドント・ストップ」に次ぐ2枚目のシングルとして発売された。 全米ビルボードで4週連続で1位になった。マイケルにとってソロで3曲目の1位獲得。 年間チャートでも4位に入った。

歌詞は「君と朝まで一緒に踊りたい」という趣旨だが、 ダンスというよりは性的な交わりのようなニュアンスも含まれている。 グルーヴ感あふれる演奏とマイケルの柔らかいボーカルが魅力。

後に「スリラー」を作曲・作詞することになる英国人ロッド・テンパートンによって書かれた。 当初は、カーペンターズのカレン・カーペンターのソロ作品の候補として提供されたが、 カレンが断ったため、マイケルに回ってきたという。

テンパートンはこの時点では自分のバンド活動を主体としており、作曲家としてあまり有名ではなかった。 プロデューサーのクインシー・ジョーンズから高く評価され、 大活躍することとなった。

収録アルバム「オフ・ザ・ウォール」試聴(Amazon)→
14 「ガール・イズ・マイン」
(The Girl Is Mine)

1982年10月

公式ビデオ→
元ビートルズのポール・マッカートニーとのデュエット。 2人の優しい歌声とソフトなサウンドが特徴的。 アルバム『スリラー』からの第一弾シングルとして、 アルバム発売に先立ってリリースされた。全米2位のヒットとなった。

マイケルとポール・マッカートニーは以前から仲が良かった。 ポールはマイケルのために書いた曲「ガールフレンド」がアルバム『オフ・ザ・ウォール』に収録された。 また、1981年にはポールのアルバム用に「セイ・セイ・セイ」を共作し、レコーディング作業を開始していた。 本曲のレコーディングもなごやかに行われ、 マイケルは「2人でジョークを飛ばしたり、悪ふざけしながら作った。とても楽しかった」と振り返っていた。 ポールは当時40歳。マイケルは24歳。

作曲・作詞はマイケルが行った。 プロデューサーのクインシー・ジョーンズから「2人の男が1人の女性をとりあっているような歌ができないか」と提案されていたマイケルが、 ある夜、突然、曲をひらめいたという。

スリラーの中で最初に完成した曲だという。 ポール・マッカトニーが参加していることで、 ラジオで多く流されることが予想されたため、 第一弾シングルとして選ばれた。 歌詞の内容が容易で、曲調の受け入れやすいため、「安全パイ」として選ばれた面もあったという。 マイケルは「ビート・イット」や「ビリー・ジーン」のようなとがった歌だと、一般に受け入れられないかも、という懸念を抱いていたとされる。 ただ、 音楽評論家の間では「スリラーのアルバムの中では一番弱い曲」だという意見もある。

1998年に発売されたブランディとモニカのデュエット曲「ザ・ボーイ・イズ・マイン」は、 本曲にインスピレーションを得た。 ザ・ボーイ・イズ・マインは1998年にアメリカで最も売れたシングルとなった。

収録アルバム「スリラー」試聴(Amazon)→
15 「オフ・ザ・ウォール」
(Off the Wall)

1980年10月

歌詞付き動画→
ファンク調であり、ディスコ調の曲。歌詞は、困難を乗り越えることについて歌っている。

アルバム『オフ・ザ・ウォール』から3枚目のシングルとして発売された。 米ビルボードで10位のヒットとなった。

「ロック・ウィズ・ユー」と同じく英国人ロッド・テンパートンが単独で曲を書いた。

収録アルバム「オフ・ザ・ウォール」試聴(Amazon)→
16 「セイ・セイ・セイ」
(Say Say Say)

1983年10月

公式ビデオ→
絶頂期のマイケルと、 ビートルズ出身のマッカートニーのコラボ作品。 マッカートニーのアルバム『パイプス・オブ・ピース』に収録された。 同じくマイケルとマッカートニーのデュエット曲である「ガール・イズ・マイン」よりも先に録音されたが、 発売時期は「セイ・セイ・セイ」が後になった。

世界的な大ヒットなった。 米ビルボードで6週連続の1位に輝いた。

1983年は、マイケルにとって大当たりの年だった。 アルバム「スリラー」から出されたシングルが次々と大ヒット。 本曲は年間においてマイケルの7曲目のトップ10入りとなり、 ビートルズとプレスリーが保持していた記録を塗り替えた。

作詞・作曲は2人の共作。 音楽業界の先輩であるマッカートニーと曲を制作したことで、 マイケルはミュージシャンとしての自信を深めたという。

女性の気を引こうとする歌だと解釈されている。ビートルズのプロデューサーとして有名なジョージ・マーティンが、プロデュースを手掛けた。 ローリングストーン誌が2011年に読者投票で選んだ「史上最高のコラボランキング」で9位に選ばれた。
17 「P.Y.T.」
(Pretty Young Thing)

1983年9月

公式ビデオ→
18 「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」
(I Just Can't Stop Loving You'(with Siedah Garrett))

1987年7月

公式ビデオ→
19 「ダーティー・ダイアナ」
(Dirty Diana)

1988年7月

公式ビデオ→
20 「ユー・アー・ナット・アローン」
(You Are Not Alone)

1995年8月

公式ビデオ→

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