マイケル・ジャクソンの名曲ランキング

マイケル・ジャクソンの名曲ランキングです。 米ビルボード誌、米ローリングストーン誌、英ラジオ局、日本のファン投票、当編集部の投票の5つを集計し、順位を付けました。 1位は「ビリー・ジーン」、 2位は「ビート・イット」、 3位は「スリラー」。 代表曲、人気曲、有名曲、大ヒット曲など。(ボディ&ソウル 国岡徹)
※Michael Jackson(1958年~2009年)はポピュラー音楽の歴史の頂点に立ったアメリカの黒人歌手。 ソウル、ロック、ダンスミュージックなどのジャンルを越え、世界を熱狂させました。 50歳の若さで薬物の過剰投与により死去。代表作『スリラー』は歴史上最も売れたアルバムです。

トップ10 | 11~20位

1位~10位

順位 曲 説明
1 「ビリー・ジーン」
(Billie Jean)
1983年1月

【動画】
<公式ビデオ▼>
<6分版▼>
<ライブ「モータウン25」▼>
<和訳▼>
<映画「This is it」のシーン▼>
アルバム『スリラー』から、「ガール・イズ・マイン」に次ぐ2枚目のシングル。多くのファンや評論家が「マイケルの最高傑作」と位置付けている。2008年に日本など各国で行われたマイケル曲のファン投票でも1位に選ばれた。

■ 一定の音がもたらすスリル
最初から最後まで一定の音とリズムを保ちながら進行するのが特徴。楽器の音が最小限に抑えられ、ベースラインとシンプルなドラムビートで構成される基本サウンドが、スリリングな印象を与える。

■ バネのように弾むグルーヴ
ベースの演奏方法もユニークで、スラップによる弦の「叩き(プッシュ)」と、その直後の指による「消音(ミュート)」の繰り返しが、バネのように弾む独特のグルーヴを生み出している。

■ マイケル単独の作曲・作詞
作曲・作詞はマイケル単独。車の運転中にこの曲を思いついたマイケルは、夢中になるあまり、自分が車が故障で炎上し始めているのに気づかなかったという。並走するオートバイの運転手からの警告で間一髪避難に成功し、直後に車体は爆発したという逸話がある。

■ ストーカー被害が元ネタ
歌詞の題材は、自らのストーカー被害の体験。曲名「ビリー・ジーン」は、あるストーカー女性の仮名だという。ランディ・タラボレッリによる非公式の伝記「マイケル・ジャクソンの真実」によれば、この女性はマイケルに何度も手紙を送り、自分の子供の父親はマイケルだと主張したという。やがてエスカレートし、銃を送り付けてきたときもあったとか。
サビの部分では「ビリー・ジーンは僕の恋人じゃない。彼女の子供も、僕の子ではない」(Billie Jean is not my lover/the kid is not my son)と繰り返し訴える。

■ 本能的な快感を呼ぶ歌いぶり
本曲においてマイケルは歌詞をメロディアスに「歌う」だけでなく、自身の声をドラムやベースに並ぶ「打楽器(パーカッション)」として機能させている。音を滑らかにつなぐ歌い方(レガート)を徹底的に排除し、子音を極めて鋭く発音して母音を短く切る「スタッカート」の表現を徹底。この歯切れの良いリズムの「アタック(立ち上がり)」と「デケイ(減衰)」のコントロールが、聴き手の肉体に直接ビートを送り込んで本能的な快感を生み出している。
また、「Hee-hee」というボーカル・フィラーや「しゃっくり」など、マイケルならではの独創性も全開。

■ 長いイントロへのこだわり
プロデューサーのクインシー・ジョーンズはデモテープの段階でこの曲をあまり気に入っておらず、とくに歌が始まるまでに29秒間もドラムとベースだけが続くイントロ部分について、カットするよう主張したという。しかし、マイケルは「このイントロこそが自分を踊らせる最小限の要素であり、聴き手も同様に踊りたくなるはずだ」と主張し、修正を拒否した。

■ 「ムーン・ウォーク」の発祥
マイケルの代名詞となる「ムーン・ウォーク」を初めて使った曲としても有名だ。全米でテレビ中継された音楽ライブ(モータウン25周年イベント)でこの曲を歌いながら、突如、ムーン・ウォークを披露。視聴者を熱狂させた。

■ MTVを変えた
また、1980年代前半に登場した米音楽専門番組「MTV」が、初めて繰り返し放映した黒人アーティストの曲としても知られる。

■ マイケル最大のセールス
シングルとしての売上枚数もマイケルにとって史上最多。米ビルボードで7週連続1位。年間チャートではポリスの「見つめていたい」に次いで2位となった。

■ 歴史的な評価の高さ
歴史的な評価の高さも不動。2012年、イギリスのテレビ局「ITV」が歴代の英チャート1位の曲の中から「最高の曲」を選ぶ投票を実施したところ、堂々の2位に輝いた(1位はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」)。

ビリー・ジーン

収録アルバム「スリラー」(Amazon)→
2 「今夜はビート・イット」
(Beat It)
1983年2月

【動画】
<公式ビデオ▼>
<公式オーディオ▼>
<横浜ライブ1987▼>
<デビュー30周年ライブ2001▼>
マイケルが生んだ最高のロック。強烈なダンスビートの上にハードロックのリフを乗せた。ソウルやファンクの色合いが濃かったマイケルが、音楽の幅を広げる突破口となった。アルバム『スリラー』から3枚目のシングル。グラミー賞で最優秀レコード賞を受賞した(ロック歌唱賞も受賞)。

■ 『スリラー』にロックを!
従来、マイケルのファンは黒人が多かったが、プロデューサーのクインシー・ジョーンズは、白人層のファンを増やすためにも、アルバム『スリラー』にはロックが必要だと訴えていた。

■ 中毒的リフも自ら考案
マイケルはその期待にこたえ、この曲を着想。ギターリフやドラムのビート、ベースラインを声でテープに吹き込んでスタジオにやってきた。あの中毒性のあるリフを生み出したのもマイケル本人だった。レコーディングの時も、マイケルは、ギターのメイン奏者であるスティーヴ・ルカサー(TOTO)に対し、ニュアンスやキレについて細かく指示を出した(出典:グラミー賞 歴代)。

■ 傑作ギタートラック
さらに、ゲストとして招いたエディ・ヴァン・ヘイレンが電撃的なギターソロを披露。ルカサーのリフとともに、ギターという楽器の魅力を最大限に引き出す曲に仕上がった。

■ タフさで泥臭さい歌唱
ボーカリストとしてのマイケルは、本曲でエッジが効いた声を披露し、従来の「クリーンな美声のポップスター」から「獰猛なロックボーカリスト」へとモデルチェンジしている。Aメロでは、喉の奥を狭めてて声を軽く歪ませ、タフさや泥臭さを表現。サビの「Beat It, Beat It」では、歌がギターのように鋭く刻み、ギターが歌のように感情を剥き出しにして、唯一無二の緊迫感と一体感を生んでいる。

■ 反マッチョ主義
歌詞のテーマは、ストリート・ギャングの抗争と、そこから「逃げろ」という警告。幼少のころから父親ジョセフの体罰に苦しめられてきたマイケルは、「don't be a macho man(マッチョな男にはなりたくない)」といったフレーズとともに、暴力で物事を解決することに嫌悪感を示したとされる。

■ 伝説のダンスシーン
公式ビデオは、対立する2つのチンピラ・グループを、 マイケルが音楽とダンスの力で一つに融合させるという内容だが、圧巻なのは終盤のダンス・シークエンス。 マイケル・ジャクソン本人と、天才振付師のマイケル・ピータース(ビデオの中で白いジャケットを着てナイフを持って戦っているギャングのリーダー役)が振り付けを担当。誰もが真似したくなるようなキャッチーさと、素人には決して出せないキレや浮遊感が同居している。今でも真似して踊る人は後を絶たない。

今夜はビート・イット

収録アルバム「スリラー」(Amazon)→
3 「スリラー」
(Thriller)
1984年1月

【動画】
<公式オーディオ▼>
<公式ビデオ▼>
<ライブ(1988年)▼>
<映画「This is it」より▼>
マイケルの代名詞ともいえる曲。 ホーラー映画仕立ての公式ビデオが超名作で、音楽史上最も優れた映像作品と評価する声が多い。 また、マイケルがゾンビたちと踊る振り付けも、ダンスの歴史に残る傑作とされる。

■ 劇場的な物語性
冒頭にドアを開く音や狼の遠吠えなどの効果音が登場。 サビの部分でのマイケルの伸びやかなボーカルから、 曲の最後の怖いナレーションと高笑いに至るまで、 まるで一つの劇場作品のような物語性が貫かれている。 クインシー・ジョーンズのプロデューサーとしての手腕が冴えわたる。

■ 英国人ロッド・テンパートン
作曲・作詞は、クインシーの秘蔵っ子の一人である英国出身の音楽家ロッド・テンパートン(当時33歳)が手掛けた。 テンパートンは、多国籍ファンク・バンド「ヒートウェイヴ」の鍵盤奏者兼作曲家として活動していたところを、クインシーに見いだされ、マイケルの大人としての初のソロ・アルバムへの楽曲提供を依頼される。テンパートンが候補として「オフ・ザ・ウォール」「ロック・ウィズ・ユー」「ディスコで燃えて」の3作を送ると、マイケルらが気に入り、3曲とも採用されるに至った。しかも、「オフ・ザ・ウォール」はアルバムのタイトルにもなった。

■ 陽気なファンクから不気味なホラーに
オフ・ザ・ウォールの大成功を受けて、次作の準備に入ったクインシーは、テンパートンに「またタイトル曲を書いてくれ」と依頼。テンパートンは、「スターライト」という陽気なディスコ・ファンク調のデモ曲を作る。マイケルとクインシーは、強力なフックと優れたグルーヴを気に入るが、「もっとエッジ(鋭さ)が欲しい」と感じた。そして、不気味でドラマチックな陰影を持たせた曲に書き換えるよう求めた。ホテルに戻ったテンパートンは、「スリラー」という曲名を思い付き、不気味なホラー調へと再構築。かくしてスリラーという怪物タイトルが爆誕した。

■ 「スリラー」でなく「シラー」
この曲の録音のために最初にマイクの前に立ったマイケルは、「Thriller」という単語の一つ目の「r(アール)」を省略し、まるで「シラー」に近い発音で歌ってみせたという。「r」の発音のために舌を口の奥に巻く手間を省き、鋭い「Th」からすぐにクリアな「i(短母音)」へと着地させたうえで、軽快な「l」へとスムーズに滑り込ませたのだ。これにより、「スリラー」という言葉に、不気味な妖艶さと、耳にこびりついて離れない強烈なフックが生まれた。

■ ハロウィンの定番
アルバム『スリラー』から最後となる7枚目のシングルとして発売された。今やこの曲は、世界中でハロウィン・イベントの定番として根付いている。

収録アルバム「スリラー」(Amazon)→
4 「今夜はドント・ストップ」
(Don't Stop 'Til You Get Enough)
1979年7月

【動画】
<公式ビデオ▼>
<ライブ▼>
マイケルが生んだ最強のディスコソング。思いっきりファンキーで高揚感たっぷり。ソロ歌手として初めて全米1位に輝いた。黄金期の幕開けを飾る一曲である。ほぼすべて裏声(ファルセット)で歌っている。

■ 黄金期の幕開け
作曲・作詞もマイケル自身が手掛けており、 ソングライターとしても卓越した能力を備えていることを、 世界中に知らしめる契機となった。

■ 独り立ちの一作目
1978年に晴れて成人となったマイケルは、 幼少期から自分を厳しくコントロールしていた父親ジョセフと袂を分かつことを決意する。 一緒にグループとして活動してきた兄弟とも距離を置き、 レコード会社からの干渉も減らすとともに、 自らの意志でクインシー・ジョーンズをプロデューサーに起用。 アルバム『オフ・ザ・ウォール』の制作に取り掛かった。

■ 『オフ・ザ・ウォール』の冒頭
マイケルがつくっていたこの曲のデモを聞いたクインシーは、アルバムに採用することに合意。 アルバムの冒頭を飾るとともに、1枚目のシングルに選ばれた。

■ 原始的な喜びが最大級
2つのコードのみが循環するシンプルな構造。そこに、弦楽器(ギター、ベース、バイオリン等)、管楽器(トランペット、サックス等)、打楽器(ドラム、パーカッション)の多種多様な音が絡み合う。後の「ビリー・ジーン」「ビート・イット」などのような劇的な物語性はないが、「聴くと身体が勝手に動く」という原始的な喜びはマイケル作品の中で最大級。

■ 澄んだ高音ボーカル
マイケルの澄んだ高音ボーカルも魅力。軽く空中に浮かぶように歌っており、かけた瞬間に空気がぱっと明るくなる。歌詞には「Touch me and I feel on fire」(触れられると燃える)といったフィジカル的な部分もあるが、透明な歌いっぷりにより、純粋な幸福感や解放感が前面に出ている。

■ 創作力の爆発
厳格な父親をはじめとする大人たちから解放され、創作面(クリエイティビティ)での潜在力を爆発させたマイケル。 評論家の高橋道彦は「マイケル・ジャクソン 1958-2009」の中で、「歌う喜びに満ち溢れたマイケルの声が最高」と評している。

今夜はドント・ストップ

収録アルバム「オフ・ザ・ウォール」(Amazon)→
5 「スムース・クリミナル」
(Smooth Criminal)
1988年10月

【動画】
<公式ビデオ▼>
<ライブ(来日公演、1988年)▼>
<ライブ(1997年)▼>
<映画「This is it」より▼>
<ドラム演奏▼>
息を呑むような危険な空気感に満ちたサスペンス・ホラー的名曲。不気味で緊迫した歌詞世界と、緻密な楽曲ダイナミズムによって、聴き手の心理を揺さぶる。作詞・作曲はマイケル。

■ 「アニー、大丈夫か?」の反復ホラー
題名のSmooth Criminalとは「手際のよい犯罪者」という意味。自宅で犯罪者に襲われて倒れている女性(アニー)に、主人公がひたすら「大丈夫か?(Annie, are you OK?)」と問いかける。つまり安否確認を行っているわけだが、そのフレーズの反復が異様なほど多いため、次第に恐怖感が増していく。

■ 独特の緊張感と快感
サウンド面では、無機質なビートの往復が特徴。「イ短調」のシンプルなベースラインが土台で、一定で分かりやすく、リスナーの耳にはすぐにリズムの軸が刻み込まれる。その一方で、スネアドラムや鋭いギターのカッティングが、少しだけリズムをずらすように入ってくる。この「予想どおりに進む部分」と「少しだけ予想を外す部分」の組み合わせが、曲に独特の緊張感と快感を生む。そこにマイケルの短く鋭い発声が乗ることで、聴き手の想像力が刺激され、スリルが増す。

■ R&Bのグルーヴとロックの鋭さ
初期デモから何度もメロディ、歌詞、構造の再構築が繰り返され、最初から最後まで一切の緩みがない極限の完成度へと到達した。米ローリング・ストーン誌は「R&Bのグルーヴとロックの鋭さの最高の融合」と絶賛した。

■ 『Bad』から7枚目のシングル
アルバム『Bad』から7枚目のシングル。『Bad』からは「I Just Can’t Stop Loving You」「Bad」「The Way You Make Me Feel」「Man in the Mirror」「Dirty Diana」の5曲が全米1位になったが、本曲は全米7位どまりだった。しかし、後年の支持率はトップ級で、Spotify(スポティファイ)などでも本曲が『Bad』の中で最も多く再生されている。

■ 前傾になるダンスが有名
斜め45度の前かがみ(前傾)になるダンスの振り付けでも有名。

収録アルバム「Bad」(Amazon)→
6 「ブラック・オア・ホワイト」
(Black or White)
1991年11月

【動画】
<公式オーディオ▼>
<公式ビデオ▼>
<東欧ライブ1992▼>
とびきりキャッチーな曲。軽快で弾けるようなサウンド。リズム&ブルース(R&B)やロックに、当時流行していた「ニュー・ジャックス・スウィング」という音楽要素を取り入れ、新しいマイケルを印象づけた。

■ 新生マイケル
アルバム『デンジャラス』からの最初のシングル。前作『Bad』に至るまで長年タッグを組んできたクインシー・ジョーンズのもとを離れ、新たな音響表現を模索していたマイケルが、プロデューサーのビル・ボットレルとともに1年半をかけて作り上げた。作曲・作詞・プロデュースいずれも2人の共作としてクレジットされている。

■ 泥臭いロッカーとの共作
印象的なギター・リフは、マイケルが最初にスタジオで口ずさみ、それをボットレルが演奏した。カントリーやルーツ・ミュージックの泥臭い感性を持つボットレルは、ザラついたエッジのある粗削りなロックサウンドとして具現化。これが、特有のリラックス感を生んだ。中盤のラップ部分も、ラッパー経験ゼロのボットレルが「見本」として録音したものを、マイケルが気に入りそのまま採用した。

■ 人種融和を明るく訴える
「黒人とか白人とかどうでもいい」として、人種融和を明るく訴える歌詞。異なる人種の女性とデートをしていることを冷やかす連中に、きっぱり「Yes we're one and the same(そうさ、僕らは同一さ)」と返すところから始まる。

■ 個人の尊厳を宣言
そのうえで、メディアへの批判を織り交ぜる。当時、マイケルの「白くなっていく肌の色」は、ゴシップ紙などの格好の餌食となっていた。この色の変化は、肌が部分的に白くなる病「白斑(はくはん)」によるものであり、まだらになった皮膚を一様にする必要性に迫られた結果であったが、「白人への憧れによる漂白(ブリーチング)」と批判された。これに対して、本作の歌詞は「bright(元々の鮮やかな肌の色)がduller(くすんでいく=まだら化していく)」という自らの肉体的な宿命に言及しつつ、「肌の色(カラー)という社会的な枠組みに囚われて、一度きりの人生を浪費するつもりはない(I'm not gonna spend my life being a color)」として、個人の尊厳とアイデンティティの自由を宣言した。

■ 健在ぶりを示す
全米ビルボードで7週連続で1位に君臨。これは「ビリー・ジーン」と並ぶ自己最長タイ。マイケル人気の健在ぶりが示された。

収録アルバム「デンジャラス」(Amazon)→
7 「マン・イン・ザ・ミラー」
(Man In The Mirror)
1988年1月

【動画】
<公式ビデオ▼>
<英国ライブ1988▼>
マイケルのバラードの代表作。メッセージ系曲としても「キャリア最高峰」と評される。また、マイケルの歴代シングルの中で最もゴスペル色が強い。

■ 「鏡に写る自分」から変える
社会を変革しなければならないが、その第一歩として「鏡に写っている自分」(Man In The Mirror)から変えていく、と誓う内容。慈善活動や人道的支援に取り組んだヒューマニストとしてのマイケルを象徴する曲として捉える人も多い。

■ 作曲家の「挫折」から生まれた
作曲は、1990年代にアラニス・モリセットなどへの楽曲提供でグラミー賞を獲りまくることになるグレン・バラード(当時30代前半)。グレンはこのころ、クインシー・ジョーンズの会社の制作スタッフとして働いており、前作アルバム『スリラー』でも1曲書いたが、採用されなかった。続く『Bad』では10曲以上書いたが、いずれもボツにされ、深い挫折感を味わっていたという。

■ クインシー軍団
そこに救世主のような形で現れたのが、当時まだ無名だった女性歌手サイーダ・ギャレットだった。クインシーの別案件の歌手オーディションで800人の候補の中から選ばれたサイーダは、クインシーのもとに集まってくる様々な楽曲案をデモ用に歌う人材として重宝されるようになっていた。その過程で、グレンが書いた楽譜にも触れ、そのライティング能力に感銘を受けていた。

■ ノートに書き留めていた言葉
クインシーが『Bad』のための強烈なバラード曲を切望していることを知ったサイーダは、グレンに対して共同での曲作りを提案。グレンの自宅に集まった。キーボードの前に立ったグレンが、音色を探りながら即興でコードを弾き始めると、サイーダは自身が書き留めていた詩ノートの中から「Man in the Mirror」という言葉を直感的に選び、口ずさんだ。そこから約1時間で曲の大筋が出来上がったという。

■ 『Bad』の例外
マイケルは当初、アルバム『Bad』に収録するすべての楽曲を、自分自身が書いた曲だけで構成しようと考えてた。しかし、この曲を心から気に入り、例外的に採用することにした。また、デモテープでのサイーダの歌唱に惹かれ、同じく『Bad』に収録される「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」のデュエット相手として抜擢した。

■ ゴスペル聖歌隊との掛け合い
マイケルのドラマチックな歌唱も本曲の魅力。冒頭、きらびやかなキーボードの音に乗せて歌い始める声はか細く、鏡の前に立つ恐怖と対峙しているかのようだが、次第に滑らかさを増し、ダンスナンバーのように言葉が心地よく跳ねていく。後半の転調を合図に声を張り上げるモードに入り、時に喉をかすれさせながら「変わりたい」という思いを表現。最後のアウトロ(終奏)では、ゴスペル聖歌隊との掛け合いを展開し、聴き手を鼓舞する。

■ 他界後のリバイバル
『Bad』から4枚目のシングル。全米1位。グラミー賞の最優秀レコード賞にノミネートされた。2009年6月の急逝後、世界中でマイケルの楽曲が再びチャートを席巻したが、その中でも本曲は驚異的なリバイバル・ヒットとなった。米ビルボードのデジタル・チャートで2位を記録し、他の国々でも上位に進出した。

マン・イン・ザ・ミラー

収録アルバム「Bad」(Amazon)→
8 「スタート・サムシング」
(Wanna Be Startin' Somethin)
1983年5月

【動画】
<公式オーディオ▼>
<ライブ(1988年)▼>
<映画「This is it」より▼>
陽気なエネルギーに満ちたダンス・ナンバー。マイケルのハツラツとした歌唱が堪能できる。

■ 『スリラー』世界へ瞬時に引き込む
世紀の傑作アルバム『スリラー』の冒頭を飾るにふさわしい一作。イントロが始まると当時に、『スリラー』という怪物のエンジンが起動したことを生理的に知らしめ、聴き手を日常の重力から興奮の渦へと導く。

■ 途切れないグルーヴ
「Aメロ」「Bメロ」「サビ」という分かりやすい展開はない。ひたすら途切れることのない「グルーヴの圧力」をかけ続ける構成。うねるようなベースライン、小気味よく鋭いギターのカッティング、色彩豊かなパーカッションの乱舞、精密なホーン・セクションが重層的に重なり合う。そこに、何重にも重なる複雑なコーラスと、叫びや吐息をパーカッシブに用いたマイケルのボーカルが絡み合う。

■ メディア批判
『スリラー』の中の4つのマイケル自作曲の一つ(本作のほかに「ビリー・ジーン」「ビート・イット」「ガール・イズ・マイン」)。明るい曲調とは裏腹に、歌詞では、ゴシップに走るメディアや、それを消費して喜ぶ現代社会への批判が展開される。「熱を出した恋人を医者に連れて行ったら何ともなかったんだけど、すぐに彼女が『精神崩壊した』との噂が広まった」など。

■ 歴史的唱和「ママセ ママサ ママークサ」
終盤に突入した瞬間、アフリカのリズムに乗って「ママセ ママサ ママークサ」という唱和が飛び交う。カメルーンの方言に由来するフレーズで、群衆的な祝祭の躍動感に満ちている。リアーナの2007年の大ヒット曲「Don't Stop the Music」でも採用されるなど、時代を越えて親しまれている歴史的チャントだ。マイケルが歌詞中で吐露したパーソナルな不安は、この呪文とともに、共同体的な解放感や自己肯定へと昇華する。

収録アルバム「スリラー」(Amazon)→
9 「バッド」
(Bad)
1987年9月

【動画】
<オーディオ▼>
<公式ビデオ▼>
<ライブ(1988年)▼>
従来のマイケルよりも「とがった」感じがあふれる曲。チェーン付きの革ジャンで登場した公式ビデオとともに、アウトロー的な新しいイメージを与えた。最先端の電子音を上手に取り込んだサウンドや、マイケルの歌唱力が称賛された。作曲・作詞はマイケル。

■ 名リフ
曲の冒頭、ジェームス・ブラウンの「It's a Man's Man's Man's World」を想起させる、4音の印象的な管楽器フレーズ(ブラス・リフ)が鳴り響く。その後、強烈な中毒性を持つメインのベース・リフ(5音×2回)が登場する。この電子楽器によるベースラインは、レイ・チャールズの1961年の名曲「Hit the Road Jack(旅立てジャック)」にも通じるブルージーな下降感を、1987年当時の最先端のハイテク・ファンクの音響に落とし込んだもの、と言われる。黒人音楽の伝統的な熱量と、1980年代後半の冷徹なストリート・リアリズムが最高次元で融合されており、曲の最後まで執拗に繰り返される。 そこに、伝説的なジャズ・オルガン奏者ジミー・スミスのソロなどが絡んでいく。

■ シャモーン!
マイケルの歌唱は、かつての流麗なR&B唱法から完全に脱し、パーカッシブな喉の制御技術の極致を示す。喉を絞り出すようなシャウト、細切れの喘ぎ、喉鳴らし。そして何より、マイケルの代表的なフレーズである「Shamone(シャモーン)」が炸裂するのがポイント。これは一見、意味を持たないマイケル特有の造語と捉えられがちだが、ソウル歌手メイビス・ステイプルズが1975年の「I'll Take You There」のライブ演奏時にファンキーな衝動の中で発した「Come on(カモーン)」の崩れた発音にマイケルが深く共鳴し、音楽的記号として再定義したものだという。

■ 「本当のワルはオレ」
荒廃した貧困街で育ちながら、優等生が通うような私立学校への入学を果たした少年が歌詞の主人公になっている。 少年が休みの日に故郷に戻ったところ、旧友たちから妬まれ、からかわれる。 そんな彼らに対して少年は「本当のワルはオレだ!」と言い放つ。

■ プリンスとのデュエット計画
本作は当初、当時のポップス界における最大のライバルであったプリンスとのデュエットとして企画された。クインシー・ジョーンズは両者をジャクソンの自宅に招いて会合を設けたが、プリンスは「この曲は自分なしでも1位になる」と辞退したとされる。プリンスは後のインタビューで、冒頭の「Your butt is mine(お前のケツは俺のもの)」という挑発的な歌詞について、「一体誰が誰に向かってこのフレーズを歌うのか。私からあなたに歌うことも、あなたから私に歌うこともあり得ない」とユーモアを交えて語っている。

■ 名匠スコセッシ監督がビデオ
同名のアルバムからの第二弾シングルとして発売。世界9か国で1位になった。この曲を含めてアルバム『BAD』からはシングル5曲が連続で全米トップという快挙を遂げている。公式ビデオは、映画界の名匠マーティン・スコセッシ監督が撮った。マイケルとチンピラ風の仲間たちが地下鉄の駅で踊る。ミュージカル感がたっぷり。

収録アルバム「Bad」(Amazon)→
10 「ロック・ウィズ・ユー」
(Rock With You)
1979年11月

【動画】
<公式ビデオ▼>
1970年代のディスコ全盛時代が終焉に向かうなかで、最後に大ヒットしたディスコ・ソングと言われている。ディスコらしい四つ打ちのダンス感覚を持ちながら、しなやかなソウル、夜のポップスとして仕上がっているのがポイント。

■ やさしく包み込むディスコ曲
若さ、透明感、色気が同時に存在するアルバム『オフ・ザ・ウォール』期のマイケルの魅力がたっぷり。マイケルの歌唱は柔らかく滑らかで、聴き手をやさしく包み込みながら、自然に体を揺らしてくれる。マイケルが「大人のポップスターとして、こんなに美しく歌える」ことを証明した曲とも言われている。作曲・作詞はロッド・テンパートン。

■ 米年間チャート4位
『オフ・ザ・ウォール』から「今夜はドント・ストップ」に次ぐ2枚目のシングルとして発売。米ビルボードで4週連続1位。年間チャート(1980年)でも4位に入った。公式ビデオは、衣装、ダンス、セット、ムードなどの点でディスコらしさが満載。

収録アルバム「オフ・ザ・ウォール」(Amazon)→

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11位~20位

順位 曲 説明
11 「ヒューマン・ネイチャー」
(Human Nature)
1983年7月

【動画】
<公式オーディオ▼>
<ライブ(1988年)▼>
<映画「This is it」より▼>
<Nas「It Ain't Hard to Tell」▼>
アルバム『スリラー』から5枚目のシングル。 透き通っていて、とろけるようなマイケルの歌声が輝く。 とくに「Why, Why」というサビの部分が印象的。美しく、繊細な一曲。

当時のロック界をリードしていたTOTO(トト)のキーボード奏者、スティーヴ・ポーカロが作曲した。学校で嫌なことがあった娘から「なぜ(こんなことが起きるの)?」と問われ、その「Why?」という言葉から着想を得て書いた曲のデモテープが原型となった。

プロデューサーのクインシー・ジョーンズが、別の楽曲のデモを聴くためにポーカロから受け取ったカセットテープに、偶然この曲が収録されていた。その幻想的なメロディに衝撃を受けたクインシーは、急遽アルバムへの採用を決定。洗練されたAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の質感と、マイケルが持つR&Bの感性が見事に融合。都会の夜の静寂を思わせる、極上のサウンドスケープが出来上がった。

音楽ライターの川口真紀はマイケルの作品ガイド「マイケル・ジャクソン・ワークス」の中で、「ある意味、この曲が『スリラー』収録曲の中で最もヒップホップ世代に影響を与えたといっても過言ではないだろう」と指摘している。Nasの「It Ain't Hard to Tell」などでサンプリングされた。

収録アルバム「スリラー」(Amazon)→
13 「セイ・セイ・セイ」
(Say Say Say)
1983年10月

【動画】
<公式オーディオ▼>
<公式ビデオ▼>
絶頂期のマイケルと、 ビートルズ出身のマッカートニーのコラボ作品。 マッカートニーのアルバム『パイプス・オブ・ピース』に収録された。 同じくマイケルとマッカートニーのデュエット曲である「ガール・イズ・マイン」よりも先に録音されたが、 発売時期は「セイ・セイ・セイ」が後になった。

■ 歴史的な大ヒット
世界的な大ヒット。 米ビルボードで6週連続の1位に輝いた。 ビルボードは2010年にこの曲を、マイケルのキャリアにとってチャート的に最も成績したシングルと位置づけた。 2013年にビルボードが発表した「歴代シングルチャート」では、本曲が36位に入った。

■ マイケルの緻密なリズム感とポールの明るいメロディ感覚
作詞・作曲は2人の共作。ポールの証言では、マイケルが突然電話してきて「一緒にヒット曲を作らないか」という趣旨のことを言い、ポールがそれに応じた。2人はロンドンのオフィスの上階で会い、ポールが持ち込んだコードや曲の原型をベースに、ギターとピアノを使いながら、デモをつくった。マイケルは歌詞に多くの言葉を足し、アレンジのアイデアも出したとされる。2人の歌唱の相性(ハーモニー)がバッチリで、ポールの明るいメロディ感覚とマイケルの緻密なリズム感が見事に結晶している。

■ 1980年代前半の多幸感
ビートルズのプロデューサーとして有名なジョージ・マーティンが、プロデュースを手掛けた。軽快なビート、手拍子感、コーラスの反復、ホーンやベースの動きなども魅力的で、1980年代前半らしい軽快なダンス・ポップを体現した。

■ 好きな女性に振り回される男の歌
好きな女性の言動に振り回される男の歌だと解釈されている。 「俺の気持ちを弄ばないで、はっきりしてくれ」という心情を訴えている

■ 史上最高のコラボ9位
ローリングストーン誌が2011年に読者投票で選んだ「史上最高のコラボランキング」で9位に入った。
13 「オフ・ザ・ウォール」
(Off the Wall)
1980年10月

【動画】
<公式オーディオ>
<歌詞付き動画▼>
優れたディスコ・ファンク。同名のアルバム『オフ・ザ・ウォール』からの3枚目のシングル。タイトル曲となるだけあって、アルバム全体の快楽主義、解放感、夜のグルーブを最もよく体現している。つらいことや悩みはいったん忘れて、音楽に身を任せ、自由に踊り、羽目を外して(Off the Wall)楽しもう、というメッセージ。

■ 歌手マイケルの引き出しの多さ
マイケルの歌唱の引き出しの多さが非常によく出ている曲だと言われる。序盤では、低めの声でリズムに食い込みながら攻めるように歌い、ダンスフロア的な野性味が出る。その後、サビの「So tonight gotta leave that nine to five upon the shelf(今夜は9時から5時までの仕事を棚の上に置いておこう)」の冒頭の「So tonight」を起点に歌唱スタイルがガラっと変わり、やわらかい声で多幸感を出す。そこに複数テイクのハーモニーが重なっていき、聴き手を左右から抱擁する。さらに、ミラーボールの光のような裏声で「life ain't so bad at all(人生、悪くないさ)」と響かせ、リスナーを解放へと導く。

■ テンパートン作曲
「ロック・ウィズ・ユー」などと同じく英国人ロッド・テンパートンの作曲・作詞。本曲がアルバムのタイトル曲として成功したことで、次のアルバム『スリラー』でも、テンパートンがタイトル曲(スリラー)の執筆を担った。

■ 魚肉工場から来た「透明人間」の貢献
テンパートンは、地元の凍結魚肉工場での勤務から社会人生活をスタートさせ、多国籍ディスコバンド「ヒートウェーブ」のキーボーディストとして頭角を現した。その卓越したソングライティングセンスに目を留めたクインシー・ジョーンズから、アルバム『オフ・ザ・ウォール』の制作チームに招かれた。業界内で「インビジブル・マン(透明人間)」と呼ばれるほどメディアへの露出を嫌ったテンパートンだが、マイケルの前人未踏の成功に果たした役割は大きい。

収録アルバム「オフ・ザ・ウォール」(Amazon)→
14 「ヒール・ザ・ワールド」
(Heal The World)
1992年11月

【動画】
<公式ビデオ▼>
<スーパーボウル▼>
人道主義ソング。「より良い世界を築こう(Heal the world, make it a better place)」と、人種や国境を超えた人類愛、そして次世代を担う子供たちのために平和な未来を残すことを強く訴えかけている。その壮大で温かいメロディから「現代の聖歌」とも評されている。

1991年のアルバム『Dangerous』に収録され、翌年シングルカットされた。

マイケルはこの曲から名付けた慈善団体「ヒール・ザ・ワールド財団」を設立し、多くの寄付や支援活動を行った。1993年のスーパーボウルのハーフタイムショーでのパフォーマンスも、この曲のメッセージを象徴するステージとして語り継がれている。

収録アルバム「デンジャラス」(Amazon)→
15 「P.Y.T.」
(Pretty Young Thing)
1983年9月

【動画】
<公式オーディオ▼>
『スリラー』からの第6弾シングル。曲名の「P.Y.T.」は「Pretty Young Thing(かわいくて若い子)」の略。弾けるようなリズムとマイケルの明るい歌声が心地よい、軽快なファンク・ナンバーとなっている。

プロデューサーのクインシー・ジョーンズとジェームス・イングラムによって共作された。クインシーらしい洗練されたアレンジが光り、当時のディスコやダンスシーンの流行を反映している。

バックコーラスには、マイケルの妹であるジャネット・ジャクソンと姉のラトーヤ・ジャクソンが参加。「P.Y.T.!」という掛け声のあとの印象的なフレーズを担当している。

2007年にはカニエ・ウェストが「Good Life」でこの曲をサンプリングし、全米1位の大ヒットを記録するなど、後世のヒップホップやR&Bシーンにも大きな影響を与え続けている名曲である。
16 「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」
(The Way You Make Me Feel)
1987年11月

【動画】
<公式ビデオ▼>
<ライブ(1988年、グラミー賞)▼>
<ライブ(2001年、ブリトニー・スピアーズとの共演)▼>
<映画「This is it」より▼>
アルバム『Bad』からの3枚目のシングル。 Badの中で一番陽気な曲。 ジャンルはポップ及びリズム&ブルースとして位置づけられている。 マイケルが母親のキャサリンから「シャッフルのようなリズムの曲を」とリクエストされ、 書き上げた。

Badのためにマイケルは60以上の曲(デモを含む)を書いたが、 厳選して選ばれた曲の一つの中に入った。全米1位。

公式ビデオでは、マイケルが女性を一生懸命に口説いている。 マイケルがナンパする男に扮したのはこれが初めて。 女性役のタチアナはこのビデオですっかり有名になった。

ライブでは、女性歌手とデュエットすることが多かった。 売れる前のシェリル・クロウがデュエットしたこともある。

収録アルバム「Bad」(Amazon)→
17 「ユー・アー・ナット・アローン」
(You Are Not Alone)
1995年8月

【動画】
<公式ビデオ▼>
1995年のアルバム『ヒストリー』からの第二弾シングル。米ビルボード誌の「Hot 100」において、チャート史上初めて「初登場1位(デビュー・ナンバーワン)」という金字塔を打ち立てたバラードの名曲。ギネス世界記録にも認定されている。

作詞・作曲はR&BシンガーのR.ケリーが手掛けた。身近な人を亡くした経験を基に書かれたデモテープをマイケルが非常に気に入り、採用されたという。孤独や喪失感を抱える人々に対し、「君は一人じゃない」と優しく、かつ力強く語りかけるメッセージソングとなっている。

ピアノとシンセサイザーを中心とした静かなアレンジから、終盤に向けてコーラスが加わり壮大に盛り上がっていく構成。

ミュージック・ビデオには、当時の妻リサ・マリー・プレスリーが出演。2人が寄り添う親密なシーンは当時大きな話題を呼んだ。マイケルが公私ともに多難な時期にリリースされたこともあり、彼の繊細でエモーショナルな歌声が聴く者の心に深く響く作品だ。
18 「ダーティー・ダイアナ」
(Dirty Diana)
1988年7月

【動画】
<公式ビデオ▼>
アルバム『Bad』から5枚目のシングルとして1988年にリリース。全米ビルボード1位を獲得し、同一アルバムから5曲連続全米1位という前人未到の歴史的快挙を締めくくった。マイケルの楽曲の中でも、特にハードロックの色合いが濃い作品として知られている。

曲名の「ダイアナ」が誰を指すのか当時は大きな話題となったが、マイケル自身は「特定の個人ではなく、スターを追いかける熱狂的な女性(グルーピー)」をテーマにしていると明かしている。ちなみに、ダイアナ元妃はこの曲の大ファンであり、自身の名前を冠したこの曲がライブで演奏されるのを心待ちにしていたという逸話も有名だ。

ギタリストには、ビリー・アイドルの相棒として知られるスティーヴ・スティーヴンスを起用。攻撃的でエッジの効いたギターソロが、マイケルの咆哮するような力強いボーカルと激しくぶつかり合い、緊張感あふれるドラマチックなサウンドを作り上げている。

ライブ・パフォーマンスにおける、シャツをはだけて感情を爆発させるマイケルの姿は圧巻。それまでの「ポップ・スター」の枠を超え、一人のロック・アーティストとしての圧倒的な色気とカリスマ性を世界に見せつけた、エネルギッシュな名曲である。
19 「リメンバー・ザ・タイム」
(Remember the Time)
1992年2月

【動画】
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メロディが美しい名曲だ。 1991年のアルバム『デンジャラス』から、 「ブラック・オア・ホワイト」に次ぐ2枚目のシングルとして発売された。 米国でチャート3位。

当時流行していた「ニュー・ジャック・スウィング」というジャンルの曲として位置づけられている。 若かったころの恋愛について、当時の彼女に「ねえ覚えている?」と語りかける内容。

作曲・作詞は、マイケルのほか、『デンジャラス』のプロデューサーを務めたテディー・ライリーら。 ライリーは、マイケルが後に妻となるデビー・ロウとの出会いについて語ったことにインスピレーションを得たという。 一方で、マイケルが幼いころから友人だった歌手ダイアナ・ロスに捧げた歌だという説もある。

収録アルバム「デンジャラス」(Amazon)→
20 「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」
(I Just Can't Stop Loving You'(with Siedah Garrett))
1987年7月

【動画】
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1987年のアルバム『Bad』からの記念すべき第一弾シングル。デュエット相手に当時は無名の新人だったサイーダ・ギャレットを起用したラブ・バラード。全米・全英を含む世界各国で1位を獲得する大ヒットを記録した。アルバム『Bad』から史上初となる「同一アルバムから5曲連続全米1位」という歴史的な快挙は、この純粋な愛の歌から幕を開けた。

当初、デュエット相手にはバーブラ・ストライサンドやホイットニー・ヒューストンといった大物歌手が検討されていたが、最終的にはプロデューサーのクインシー・ジョーンズの推薦でサイーダが選ばれた。彼女の透明感のある歌声が、マイケルの繊細なボーカルと見事なハーモニーを奏でている。
21 「ガール・イズ・マイン」
(The Girl Is Mine)
1982年10月

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ビートルズ出身のポール・マッカートニーとのデュエット。当時ポールは40歳。マイケルは24歳。 2人の優しい歌声とソフトなサウンドが特徴的。 アルバム『スリラー』からの第一弾シングルとして、 アルバム発売に先立ってリリースされた。全米2位。

作曲・作詞はマイケル。 プロデューサーのクインシー・ジョーンズから「2人の男が1人の女性をとりあっているような歌ができないか」と提案されていたマイケルが、 ある夜、突然、曲をひらめいたという。

1998年に発売されたブランディとモニカのデュエット曲「ザ・ボーイ・イズ・マイン」は、本曲にインスピレーションを得た。ザ・ボーイ・イズ・マインは1998年にアメリカで最も売れたシングルとなった。

収録アルバム「スリラー」(Amazon)→

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